自分を大切にする…自分らしく生きること【佐太神社】参拝後の気づき

心を軽くする
自分を大切にすることの大切さ…。
気が付いて生活している人がどれだけいらっしゃるでしょうか。
日々の生活をこなすことで、一日が何となく終わっている人が多いのではないでしょうか。
私も、まったくその一人です。
時々、自分の好きな事をして、自分の機嫌をとっているから大丈夫よね
みたいに、思っていたのですが…。
気が付いていないだけでした。
自分の内側には、まだまだ本当の思いがあるようです。

自分を大切にする

ふとした自分の気持ちに気が付くこと

先日、友人と3人で食事しました。
この3人は、感性が優れていて、とてもスピ好き、神社も大好き、
自分の人生をいつもより良く生きるために、日々コツコツと心の努力をされている方達です。
自分をよく見つめ、自分を、自分の気持ちを、大切にしておられます。
なので、会うと、私はいつもとても元気をもらっています。
何気ない会話の中にも、毎回何かしらの、ピンと来るような言葉や、
その時の自分の心に響くぴったりなメッセージをもらえたりするので、不思議なんですよねぇ。
ちょうど疑問に思っていた事の答えや、
自分では思いもつかなかった目からウロコ的な言葉も会話の中から出てきたりします。
ただ、何気なく日々の日常をこなしがちになってしまいますが、
その中でも、ふとした思いや、疑問や違和感を感じることがありませんか。
その、思いや違和感を忙しさでスルーしてしまうことが多いんですよね、
その湧きあがった気持ちを、一旦汲み取って、
ちょっと自分自身に、こういう気持ちがあったんだね、と、ちょっと止まって、まずは気が付くこと、
そして、それについてどうしようかねぇ、どうしたい?と、
「自分自身」や、「守ってくれているであろう存在」に聞いてみてもいいかもしれませんね。
そうすると、すぐに答えは出なくても、
今回のランチのように、普通の日常の会話の中に、答えやヒントをもらえたりします。
今回のランチも、神社の話になり、島根の「佐太神社」に行ってきたのよ〜と話をしました。

佐太神社 道開きの神

佐太神社の主祭神は、佐太大神で、猿田彦大神と同一視されている神様です。

猿田彦大神は、「導きの神」として知られており、
人生を、より良い方向に導いてくださるとも言われています。
そして、摂社の「田中神社」は、全国でも珍しい「縁切り」の神社で、
悪縁を切って、良縁を呼び込むご利益があるそうです。
島根県の佐太神社について詳しく知りたい方はこちらもどうぞご覧ください。
一緒に行った人が、ちょうど、悪縁に悩まされていた時だったので、よいタイミングで参拝させていただいたと思っていました。
私には、縁切りのご利益とか、あまり関係ないかもなぁと思っていましたが、
後日、この3人でランチした時、
ああ、やはり、私にもしっかりご利益をいただいていたんだなぁと、導かれていることを改めて感じることができる出来事がありました。

自分軸

佐太神社を参拝して、少し経った頃でした。

自分にとって、当たりまえだと思ってこなしていた生活…

毎日の仕事に、週末には、2、3週間おきに父親の介護をしています。

父親は普段は施設なのですが、家に帰って来てくれることは、体力的にはしんどい時もありますが、

私にとっても、父が家で家族と過ごすことが嬉しいことなのです。

そんな中、

息子の受験、卒業、入学などもあって、
忙しくはありますが、日々何の疑問も思わず、それなりに、楽しくこなしていました。

ですが、さらにその同じ時期に、
娘の結婚や、主人の家の家族トラブルなどが加わり…(泣)

主人の家のトラブルまで何故か自分がメインでこなしていて、どうしてこんなにいっぺんに重なるの?!って状態になりました。

それでもそれをこなすのが当たりまえだと、何の疑問も思わずにバタバタと過ごしていたある日、

ふと、

自分の事がしたい」と

本当にふと、湧き上がってきました。

あれ??
そうだ、そうよね、と…

「気がついた」という感覚でした。

あれ?、私、人のことばっかりに一生懸命で…
もっと自分の事してもいいよね、
自分のしたい時にしたい事したって、いいんだよね、
もっと自分を大事にしていいよね

と、その時の今の自分をようやく振り返ったのでした。

 

当たり前の中の「気づき」

いっぺんに忙しさがドドーっとやってきた事で、

いつもこなすのが当たり前と思ってきた事は、全部自分がやらなくてはいけないことなのか?

知らず知らずのうちに、

「私がやるのが当たり前」←子供や主人から見ても

「やってあげなくちゃ」

となって、完全に自分を後回しにしていることに気がついたのでした。

後回しにしたって、自分の好きな事をしてあげる時間なんてないに等しいのに…。

一見、大変な事がいっぺんに重なって起こった事は、運の悪い、嫌な事と捉えてしまいそうですが、

これは、当たり前と思っていた自分の中の常識が、実は自分にとって本当によいことなのか?という、「気づかせ」の為に起こった、良い事なのかもしれませんね。

ちょっと待って、それは当たり前ではなくて、

これじゃ、自分がないじゃん、人のためにこなしているだけの自分であって、

はたして、これが自分でいいの?

考えてみたら、自分のためにしてあげる時間なんてほぼない…。

もっと自分の為に、自分を大切に生きたっていいんですよね。

「まず自分」でした、

完全に「まず家族」になってました。

 

当たり前と思っている思い込みの中から、「気づき」を得るって難しいことだと思いませんか?

そして、周りの状況(子供や主人)も、私が動くことが当たり前のように固まってしまっていると、

それを崩して変えていくことは、簡単なことではないですよね。

 

この気付きは、自分の思い込みからの生き方を、

もっと視点を変えて、自分を大切に、自分軸から見るということを、気づかせてもらったなぁ、

よい方向へ「導いてくださっている」んだろうなぁと、

佐太神社のことを思い出したのでした。

猿田彦大神が導いて下さったのかもしれないなぁと佐太神社の事を思い出したのでした。

 

自分らしく生きたい

その気づきを得て少し経ったある日、この3人で食事をしたということなのです。

その時に、やっぱりこれは導いて下さったのだなぁと確信できたのでした

色々、人生についてなど、深い話になってきた時、

「これからどういう風に生きたい?」

と、友人から私に唐突に振られました。

 

その時、不意に出た言葉は、

自分らしく生きたいでした。

 

その言葉を発してから、何故か私の口から勝手にどんどん言葉が出る感じで、話していました。

仕事をしながら、息子の事や、主人の事、親の事など、毎日忙しくこなしていたが、

それを、自分がするのが当たり前だと、家族に合わせるのが当たり前と、当然のように考えていた事、

ある日、さらにいっぺんに忙しさがやってきて、

「自分のことがしたい」という思いがわきあがり、

あれ??

もしかして、これって当たり前じゃなくていいのかも…。と気がついた事、

もっと、自分を大切にしてもいい

「相手に合わせてばかりでなく、自分基準で、できる時にやってあげればいい

「できる事は自分でやってもらう、相手のしたい時に無理に合わせる必要はない」など…

なんだか、急に、肩の力が抜けたように、一切頑張ろうと思わなくなったというか、

それは自分がやらなくてもいいこと~、もうそこまでするのやめた

みたいな、いい意味で自分の中で線が引けるようになった感覚など、

 

自分で話している内容を、自分で聞きながら、

ああ、私って気がついてないだけで、こんなこと感じてたんだ…

話しながら、自分の感情に自分で気がついているという感じで、

何だか、内側の自分に言わされているような…

そして、聞きながら気がつくという、不思議な感覚でした。

友人も、それを聞いていて、

「それって、佐太神社に参拝に行ってから、気が付いたの??」

と、聞いてきました。

私は、「そうなんよ。佐太神社は、導きの神、猿田彦大神が祀られているよね。」

友人「それはきっと導かれているんじゃない!?」

「佐太神社、猿田彦様ちゃんとおられるよ! お礼参りに又行かれるといいよ。」

 

と言ってくれました。(友人は結構見えない世界がわかる人なのです。)

そうなんだ、やっぱり猿田彦大神様に、導かれ、守っていただいたんだな、

私にも、佐太神社の御利益は合ったのだなぁと、有難い気持ちになったのでした。

 

悪縁を切るとは

そして、導かれたと感じると同時に、

佐太神社(摂社:田中神社)の、悪縁切りのことも思い出しました。

 

悪縁を切るとは、なにも人の縁だけではなく、自分の、辞めたくてもやめられないような、悪い習慣なども含まれるのではないでしょうか。(過度の飲酒や、暴飲暴食、良くない癖や、ネガティブな思い込みなど)

私の気が付いていなかった、自分にとって良くない思い込み(悪縁)を、

気が付くことで、今回切っていただけたのかもしれないなあと思いました。

 

心の整理と許し・手放し

心の整理

人との悪縁は、なかなか簡単に切れるものではないと思いますが、
縁切りは、自分の心に
嫌だ嫌だという思いがあったり、
あの人の事が許せない、
あの人が悪い、
いなくなって欲しい、
忘れる事ができないなど、

モヤモヤする気持ちを、自分の心のどこかに持っている限り、縁は切れないものなのかもしれませんね。

いつも、モヤモヤした気持ちを抱えていたり、なにかにつけて思い出してはモヤモヤしてしまう…。

それは、今、目の前にはいなくても、いつもその人が自分のそばにいるのと同じようなものなのかもしれませんよね。

その人(事)に対しての

自分の心の引っ掛かりを、色んな角度から見つめてみる、

どこが引っかかるのか、
何に引っかかるのか…

問題のなかにいると、感情にのまれてしまい
どうしたらいいのか、わからなくなってしまいますよね。

色んな感情が湧いてくると思います、

湧いてくる感情を湧いてくるぶんだけ、出して確認してみる、

(ネガティブはよくないと、無理に押し込めたりしないほうがいいと思います。感情にのまれるのではなくて、確認です。)

そんな感情が自分の中にあるんだなと、ただ認める。

そうしたら、

もうそれ以上、感情にのまれて思いを味わう必要はありませんよね。

 

許して手放す

たくさんの感情があることを認めたら、抜け出せなくなる前に、そろそろ出口を探さないといけませんよね。

しんどいかもしれませんが、

今度は、湧いてくる色んな感情に向き合い、ちょっと離れた冷静な自分で、よくよく観察していると、

どうしたら、自分の心が軽くなるのか、
どうしたら落ち着くのか、
またどうしたら自分は納得できるのか…

心の整理がついてくるのではないでしょうか。

それは、相手に原因があると同時に、

もしかしたら、自分の中にある、

何かの思い込みや、こだわりという「悪習慣」に気がつく必要があるのということなのかもしれませんね。

もしかしたら、自分のこんなところが原因なのかもしれない、よくなかったのかもしれない…とか

この事を学ぶための、必要な気づきを得るためなのかもしれない…など

気がつくこと、見えてくること等が出てくるかもしれません。

 

許すべきところは許し、手放せる感情は手放し、

少しずつでも、心をクリアに、できるだけ波風の立たないフラットな状態に持っていく…。

根が深いと、何度も何度も、同じ気持ちが湧き上がってくるかもしれませんが、

その度に、同じように、心をフラットに、心の努力を続けていってみる。

そうしているうちに、いつの間にか

その人が居ようがいまいが、その人について何とも思う事なく、

自分が自分らしくいられるくらいの心の状態になってくるのではないでしょうか。

 

そう思えるようになった頃に、

自然と縁が切れるのかもしれませんね。

 

佐太神社参拝後の変化 「自分を大切にする」その後

佐太神社を参拝してから、半年が過ぎたのですが、

あれから、今度は私にも変化が起きてきて、びっくりしています。

「自分を大切にする」と気が付いてから、

今までの、家族のためが主体の自分から、自分の気持ちを優先しながらの、家族への行動を心掛けるようにしてきたところ、

変化がありました。

特に主人は昔ながらの考えが強めの人なので、

私の「それはできない」「自分でやってみて」に、かなり抵抗を感じたようです。

なかなか受け入れにくかったようで、怒りや寂しさもでたようで、関係が凄くギクシャクしました。

嫌な状態が続き、もう、本当のこの私で、生きていけないのなら、それはそれで仕方ないくらいにも思えてきて、

どうにかしようというより、なるようになれといった、ある意味天に任せたようにサバサバできました。

すると、変わり始めました。

出来ないことなど、すぐに私に頼っていた人が、自分でやろうという心が出てきて!

凄い変化です。まさかこんなに変わってくれるとは、思ってませんでした。

私らしく、生きやすい生活に変化してきています。

自分の気持ちを優先すると、状況的には、わがままになってしまう部分もあるのかな、と、

思う時もあり…、それは、今後もバランスを見ながら、ですね。

佐太神社参拝後、私にとっては思いもよらない、よい導きの出来事でした。

ありがとうございました。

 

佐太神社について詳しく知りたい方はこちらもどうぞご覧ください。

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