静かに佇みながら、圧倒的な存在感と優しさに満ちあふれた一大聖地、熊野本宮大社。
熊野三山の一つであり、熊野の神々を祀る、全国熊野神社の総本宮です。
信、不信、老若男女、浄、不浄、にかかわらず、どんな人も救ってくださる神様といわれ、
古より誰もが救いを求めて熊野へ詣で、今でも人気の高い聖地です。
何故か、不思議なタイミングで導かれたように訪れることになった、熊野の旅。初めての息子との二人旅でした。
現世、来世を考えさせられる旅になりました。
目次
「導きの神様」 八咫烏(やたがらす)
日本書紀、古事記に登場する3本足のカラス。
境内のいたるところにおられます。
熊野神の使いで、太陽の化身とされているそう。
神武天皇が熊野に到着された時、八咫烏が奈良までの道案内をしたというエピソードから、
「導きの神様」として信仰されるようになったそうです。
導きの神様に導かれた?不思議
導きの神様と聞いて、気になりました。
この熊野への旅、実は新幹線の中で決まったのです。
始めは白浜あたりの観光をする予定でいました。
熊野は、時間的にも厳しいため、行くことをあきらめていたのですが、一緒に旅した息子が、
「何とかいけるんじゃない?行ってみよう」と言ってくれて!
「えー!行ける~!?行ってみる?」とスイッチが入りました。
二か月前に母を亡くし、精神的に少し解放したいとう思いが沸き上がり、旅を思い立ちました。スケジュール的にも、このタイミングで、熊野を訪れることになりましたが、
熊野の神様は、現世に利益をもたらし、死後も浄土へ導いてくれるといわれている存在と知り、母の死を経験したこのタイミングで、来させていただいたことへの不思議さを感じます。
もしかしたら、母を浄土へ導き、送るために、私と長男が導かれたのかもしれないとも感じました。
私は、遠出する時は、「吉方位」に行くことにしているのですが、
この八月は、私の住む地域からの吉方位は、白浜あたりから南方面しかなかったのです。
この時点から、もう熊野の近くに導かれていますよね。
白浜あたりで…と選んだ宿も、田辺に決めていました。
田辺は、熊野古道の「中辺路」と「大辺路」の分岐点の場所で、熊野へ通ずる交通の要というべきところだと後で知りました。
日にち的にも、場所的にも、ここしかないな、と思えるタイミングで来たのですが、後から気が付くと、不思議な導きで、意味のあることだったのだなと思えてなりません。
熊野三山とは
熊野三所権現とも呼ばれています。
熊野の聖地である、本宮、新宮、那智を三つ合わせて熊野三山というほか、
本宮の熊野本宮大社、新宮の熊野速玉大社、那智の熊野那智大社の三つの神社の総称としても熊野三山といいます。
また、平安時代に起こった、本地垂迹説(神仏習合思考のひとつで、日本の神々は様々な仏が形を変えて日本に現れたとされる考え方)により、
熊野本宮大社 阿弥陀如来
熊野速玉大社 薬師如来
熊野那智大社 千手観音
とされ、熊野三所権現とも呼ばれています。
また、熊野三山は、それぞれが異なる役割を持っていると考えられていたようです。
熊野速玉大社が過去世の罪を浄め、熊野那智大社が現世の縁を結び、熊野本宮大社が来世を救済するといわれており、
三山を巡ることで、過去・現在・未来が安泰であることが得られると信じられてきました。
熊野詣の人々が憧れ、目指した聖地
奈良から平安時代に、神仏習合思考により、神=仏という考え方が広まり、
平安時代末には、「浄土への入り口」として、多くの皇族や貴族がお参りするようになったそうです。
浄土へお参りして、帰ってくるということは、「再生」を意味し、
熊野三山は「よみがえりの聖地」として信仰されてきたのです。
一の鳥居
本宮大社の入口、
俗界と神域の結界を表すそうです。
八咫烏の幟が目を引きますね。
鳥居をくぐると、158段の石段が続きます。
今朝は4時半に起きて、新幹線に1時間半乗り、車を3時間運転して、やっと到着しました!
鳥居から見える石段と、沢山の白い旗が見え、来れた事に感動です。
昔の人々が熊野参道を通り、やっとの思いで熊野本宮大社に参拝していた気持ちが、少しだけわかった気がしました。
一礼して、鳥居をくぐります。
祓戸大神
神聖な木々が生い茂る参道石段を登っていくと、
通り過ぎそうになりましたが、ふと、左から呼ばれたような感覚が…
石段の中腹に祓戸大神が祀られていました。
石段を登るのに一生懸命で見逃してしまうところでした。
通り過ぎてしまいがちになりますが、忘れずに参拝してくださいね。
私達の穢れを払っていただいてから、熊野の神様に参拝します。
手水舎
八咫烏さんがお出迎えしてくれています。
ここに来ると、気持ちのよい風が吹き始めました。
手を清めている間、ずっと静かな風が吹き、沢山の風鈴達がちりんちりーん…と、
長い間なんとも風情のあるキレイな音を立てていてくれました。
手や口はもちろん、そのキレイな音で心も身体も、清めてくださった感じです。
神門
石段を登り切ると、右手にお札やお守りなどの、授与所があり、
正面に神門が見えます。
ここから先は、最も神聖な場所、
門の先の正面にみえるのが、主祭神が祀られている第三殿(証城殿)です。
神門内の撮影は許可が必要のようです。
ブログへ掲載は控えさえていただきます。
御祭神と参拝の順番
平成7年には社殿が国の重要文化財に指定されました。
神門の向こうには、四つの神殿と、満山社があります。
ご本殿は、左から、
①西御前 夫須美大神
②中御前 速玉大神
③証誠殿 家津御子大神(素戔嗚尊)
④若宮 天照大神
⑤満山社 八百万の神、結びの神
と並んでいます。
参拝の順番は、
③証誠殿→②中御前→①西御前→④若宮→⑤満山社
と進むのが正しい順序とされています。
主祭神を、見て驚きました。
家津御子大神…別名は「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」でした。
熊野大社に来る前に主祭神のお名前を確認していたのですが、
別名が、素戔嗚尊だとは!ここまで来てびっくりです。
というのも、私はなぜか、素戔嗚尊様にご縁がある?(と勝手に思っている)のか、
興味のある神社や、訪れる神社は素戔嗚尊が主祭神の事が本当に多いのです。
ヒーラーのかたに、前世は出雲族だったようだと言われたこともあるので、何か縁があるのかもしれません。
今回も5、6時間かけて、こちらにお参りに来させていただきましたが、
やはり素戔嗚尊様が主祭神で、驚きと共に嬉しくなりました。
島根県の出雲には、スサノオノミコトの魅力的な神社がたくさんあります。
そちらに導かれた体験を知りたい方は、こちらもどうぞご覧ください。
御本殿
神門をくぐると、神聖な空気感。まさに神域と感じられます。
厳かで、落ち着いた安心感です。
派手さは全くないのに、圧倒的な存在感で、参拝者をじっと大きな愛で見守っているようです。
しばらくの間、厳かな社殿を神門の場所から、じっくり眺めさせていただきました。
そして、お参りしようと本殿前に進み出て、手を合わせようとした、その時、
急に「ドン!ドン!」という音が…
わー!太鼓が鳴りはじめた!
拝殿や本殿前で太鼓が鳴るのは、神様からの歓迎のサインなんです。
そして、証誠殿(素戔嗚尊)の前でお参りをしている間、ずっと心地よい風がそよそよと吹き続けてくれていました。
物凄く暑い日でしたが、服の中にも風が吹き抜けてくれて、とても気持ちがよかったです。
神社での心地よい風も、神様からの歓迎のサイン。
歓迎されているメッセージを受け取る事ができ、嬉しく思いました。
神様に歓迎されているサインをもっと詳しく知りたい方は、こちらもどうぞご覧ください。
拝殿
本殿の手前、神門に向かって左側にあります。
ふつう、神社は拝殿前でお参りをし、ご本殿には近づけないことが多いのですが、
こちらの神社は、直接ご本殿にお参りできるかたちになっています。
ご本殿をお参りした後、訪れてしまいましたが、こちらの拝殿を先にきたほうがよかったのでしょうか??
こちらでご祈禱もしていただけます。
八咫ポスト
熊野古道「祈りの道」
石段の参道の横に、熊野古道の一部があります。
石段が不整列でとても歩きづらいです。注意が必要です。
昔の人々はこんなに歩きづらい大変な思いをしながら、長い道のりを歩き続け、熊野にお参りされていたのですね。
大斎原(おおゆのはら)
現在の大斎原は静かな佇まいです。
主祭神の家津御子大神と、ムスビオオカミ(イザナミ)、ハヤタマノオオカミ(イザナギ)は、大斎原のイチイの木に降臨したと伝えられています。
熊野本宮大社が大斎原に創建された云われです。1889年(明治22年)の大洪水で多くの社殿が流失し、その時の水害を免れた四社(本宮、結宮、若宮、満山社)が現在の熊野本宮大社の場所に移されました。
いつかかならず、再度ゆっくり参拝したいと思います。
こちらを後にして、飛瀧神社(ひろうじんじゃ)に向かいます。
飛瀧神社は、熊野那智大社の別宮で、那智の滝そのものを御神体とする、神秘的でとても素敵な神社です。
コメント